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2022-01-01から1年間の記事一覧

ヒストリーオブ山下達郎 第32回 82年「あまく危険な香り」とベスト盤、RCA/AIRイヤーズの終わり

<ドラマのオファーが来なければ「あまく危険な香り」は世に出なかった>82年1月発売のFOR YOUからのシングルカットはなかったけれど、この年の4月5日にドラマ主題歌「あまく危険な香り」をリリースしてる。FOR YOU発売の直後だね。これがオリジナル曲として…

ヒストリーオブ山下達郎 第31回 アルバムFOR YOU(1982年1月21日発売)

<あえて「LOVELAND, ISLAND」はシングルを出さないことにした>あの頃は、毎年アルバムを出していたので、81年の夏には、もうレコーディングは始まっていたと思う。81年のうちに出すつもりでいたけど、 あの年はツアーのスケジュールがあまりに厳しくて。ツ…

ヒストリーオブ山下達郎 第30回 ON THE STREET CORNER(80年12月5日発売)

<一人アカペラは一日で全部録らなきゃならない>アカペラ・アルバムの構想は以前からあった。一番最初に一人アカペラでドゥーワップをやったのは、79年のFLYING TOURのライヴでだった。その時に、ジェスターズの「THE WIND」をやったのが、既成のドゥーワッ…

ヒストリーオブ山下達郎 第29回 80年、ブレイクと交際宣言、そして芸能界

<最初は個人的にどうこうとかは全然なかった>(竹内まりやと)付き合い始めたのは、80年になってから。5月くらいかな。アン・ルイスの「リンダ」のレコーディングを手伝ってくれって、彼女に頼まれたことがきっかけ。80年の5月頃って、ツアーやなんだで忙…

ヒストリーオブ山下達郎 第28回 アルバムRIDE ON TIME(80年9月19日発売)

<レコード大賞の授賞式に出席することは考えてなかった>レコード大賞のベストアルバム賞は、1979年に新しく制定されたもので、僕の受賞の時が2回目だった。それまではアルバムのための賞は、なかったんだ。評論家の福田一郎さんあたりが音頭をとって、アル…

ヒストリーオブ山下達郎 第27回 アルバムMOONGLOW(79年10月21日発売)

<MOONGLOWではステージで再現できる曲を最優先にしようって考えた>GO AHEAD!を(78年12月20日に)発売した時に、一度だけ渋谷公会堂でやったライブ(12月26日)は、村上秀一、岡沢章、松木恒秀、坂本龍一、難波弘之というメンツでね。で、年が明けて小規…

ヒストリーオブ山下達郎 第26回 エアーレーベル発足とムーングロー(1979年)

<「愛を描いて」は僕にとって初めてのタイアップ・シングル>79年4月5日シングル「愛を描いて- Let’s Kiss The Sun -/潮騒」発売。このシングルがソロデビューして2枚目というw かつ、初めてタイアップが付いた。というか、タイアップが付いたので、シン…

ヒストリーオブ山下達郎 第25回 ブレイク前夜 、79年の大阪と「ピンク・キャット」

<BOMBERが売れ始めたから、大阪に来てくれ>1979年1月、次のシングル「愛を描いて〜LET’S KISS THE SUN」のレコーディングをしていて、4月に発売だね。この79年初めは、けっこう頻繁に大阪にプロモーションに行った。クールスのレコーディングが終わって、…

ヒストリーオブ山下達郎 第24回 クールスNY録音と、大阪での「BOMBER」ヒット 78〜79年

<クールスのレコーディングで度胸は付くもギャラは無し>GO AHEAD!(78年12月発売)のレコーディングが終わって、すぐにクールスのニューヨーク・レコーディングへ行った(アルバム「NEW YORK CITY N.Y.」79年3月発売)。その仕事の結果、ヤンキーが怖くな…

ヒストリーオブ山下達郎 第23回 78年、POPPIN’ TIMEからGO AHEAD!へ

<新曲はリハ前の2週間で作ったんだ>IT’S A POPPIN’ TIME(78年5月発売)の新曲は、ライヴをやる2週間くらい前に作ったかな。正確にはリハーサル前の2週間だね。ライヴを想定して「雨の女王」と「シルエット」、あと「エスケイプ」だね。それとカヴァー…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝8 小杉理宇造インタビュー

<あの人とやってみたいな、それが達郎さんの最初の印象ですね>僕はRCAで日本のロックをやりたかったんです。でも、日本のロックの分布図が分からなかったんで、牧村憲一さんに会いに行った。そしたら牧村さんが、荻窪ロフトでシュガー・ベイブの解散ライヴ…

ヒストリーオブ山下達郎 第22回 77年〜78年、IT’S A POPPIN’ TIMEへ

<シングル盤「PAPER DOLL」がボツになってるんだ>SPACYからIT’S A POPPIN’ TIMEへの時期は、あまり自分の仕事をしてないかな。「PAPER DOLL」のレコーディングを77年10月にやっているね。他の仕事で特徴的なところでは、77年6月頃だったと思うけど、マザー…

ヒストリーオブ山下達郎 第21回 スペイシー(1977年5月25日発売)

<次を作りたいって思ったこと、80年くらいまではあまり無いんだ>1977年のアタマは1、2月が(吉田)美奈子の「トワイライト・ゾーン」で、それが終わって大滝さんのストリングス・アレンジ、たぶんシリア・ポールだったと思うけど、それをやって、その後に…

ヒストリーオブ山下達郎 第20回 サーカスタウンからスペイシーへ

<CIRCUS TOWNは自分探しのレコードだった>1976年10月25日CIRCUS TOWN発売。アルバムの一般的な評価という部分では、実はあまり実感が無かった。ミュージシャンからの反応は概ね好意的だったけど。シュガー・ベイブの時と比べても。CIRCUS TOWNは自分探しの…

ヒストリーオブ山下達郎 第19回 サーカス・タウン 1976年10月発売へ

<悔いが残るとしたら、歌が追いつけなかった>チャーリー・カレロは確かに変わった人だったけど、今にして思えば、彼も日本人と仕事をするのは初めてだったし、向こうは向こうなりに構えていたんだと思う。だけど、仕事してる時は集中力の鬼だったよ。最初…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝7 牧村憲一インタビュー

<試験のヤマかけが当たって、早稲田大学に進学>僕は東京の渋谷生まれ(1946年11月3日)です。90年代にあった渋谷系ブームの渦中にいた時、「渋谷生まれの渋谷育ちですから、渋谷系」と言って、適当にかわしていたんですけど、それは本当で、日赤が取り上げ…

ヒストリーオブ山下達郎 第18回 NY海外レコーディング 1976年8月

<セカンドアルバムをやるんだったらソニーでやりたいなと思ってた>まず、牧村憲一さんについて。牧村さんは74年、僕に最初にCM仕事をくれた人なの。その時、彼はオン・アソシエイツというCM音楽制作会社に居た。彼はもともと早稲田で後藤由多加さんと同期…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝6 寺尾次郎インタビュー

<シャルル・アズナブールの「イザベル」にすごく反応したんです>生まれは東京、大田区の洗足池というか、まああの辺ですね。その辺りで5分くらいの所に引っ越したのが一回あったんですが、だから22歳までかな。22までは地元で居ました。その後は引っ越し好…

鼎談2017/細野晴臣・山下達郎・星野源

〈好きなことしかやってないからね。前は辛いこともあったけど(細野)〉 山下 細野さんとちゃんとお話しするのは、今日が初めてなんですよね。星野 初めてなんですか? 細野 そう。長い付き合いなのに初めて(笑) 山下 「パイドパイパーハウス」の店長だっ…

ヒストリーオブ山下達郎 第17回 バンド解散と「ナイアガラ・トライアングル」 1976年

<オールナイトニッポンのパーソナリティーが始まるんだよね>76年1月18日、玉川区民会館「下北沢から51年」コンサート。顔見せの感じだったよ、出演者がずいぶん多かった。どういう企画意図かも知らない。僕らは出演時間直前にただ行って、演奏して帰ってき…

ヒストリーオブ山下達郎 第16回 メンバー・チェンジ 1975年

<セカンド・コンサート、企画性は良かったが>1975年1月24日、新宿厚生年金小ホール、シュガー・ベイブ、セカンドコンサート。このコンサートは計画倒れっていうか、意欲に実力が全然伴わなかった。二部構成で、ゲストも入れたりしたんだけど、構成やアレン…

ヒストリーオブ山下達郎 第15回 初めてのアルバム・レコーディングSONGS 1974年10月〜

<エレックのスタジオは、コレはなんだ、っていう酷さだった>曲は♪すてきなメロディー以外は全部揃っていた。もうライブでやっていた曲ばかりだからね。スタジオは最低だったよ。天井が低くて。だって普通のオフィスビルの2階だもん。マイクも数えるほどし…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝5 野口明彦インタビュー

<高校の途中からフォークをやったんです>生まれは東京・中野新橋、淀川浄水場の向こう側です。で、その向こうはもう渋谷本町。渋谷と中野の境目ですね。家からバスに乗って、バス停3つ目で浄水場。中学校の頃にはもう浄水場がなくなって、京王プラザホテル…

ヒストリーオブ山下達郎 第14回 ワンステップ・フェスティバル、そして… 1974年

<見知らぬ人たちからシュガー・ベイブって呼ばれたの、初めてだった> 74年8月8日だったんだね、郡山ワンステップ・フェスティバルに出たのは。4日間ぐらいの野外イベントがあるって言われてたけど、あの頃はいちいちライヴの細かい背景なんか気にして無か…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝4 村松邦男インタビュー

<並木の家に遊びに行ったら、たまたま山下が居たんだ> 山下と初めて会ったのは高校時代。 もともとは僕が高校でバンドをやっていて、一年後輩に並木さんが居たの。並木さんは当時、文京高校の学生運動のリーダーをやりつつ、高田中学時代からの仲間の山下…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝3 大貫妙子インタビュー

<矢野さんが来たために三輪車は壊れてしまったのw> シュガー・ベイブ以前は、私と男性二人で「三輪車」というフォークグループをやっていて、その三人でデビュー予定だったんです。 その頃私は御茶美(お茶の水美術学院)に通っていたの。音楽は小さい頃か…

ヒストリーオブ山下達郎 第13回 初めての関西ツアー 1974年

<亀渕友香さんのステージの翌日、関西ツアーに出た>74年から75年頃のスケジュール帳が出てきたよ。74年の5月、ライブで生まれて初めて大阪行ったんだよ。よく話に出てくる京都の拾得でライブをやったのが74年5月11日だね。で、大阪へ行く前の日が、前回話…

ヒストリーオブ山下達郎 第12回 1974年、いろいろな出会い

<シングルを意識した♪パレード>74年に風都市に入って新宿西口の貸しスタジオで、1月から練習を週に何回かやらせてもらうようになって♪SHOWのアレンジを進めたり。練習がコンスタントにできるようになって、だんだん曲も書けるようになって来て。特にター坊…

ヒストリーオブ山下達郎 第11回 運命的に人と出会った一年間

<大滝さんは本当にロックンロールの人なんだね>大滝さんへのインタビューはなかなか面白かった。知らないことがずいぶんあった。(鈴木)慶一のCCRってのが一番笑ったな。でも大体認識は同じような感じだね。若干の違いはあるけど別にそれほど本質的なこと…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝2 大滝詠一インタビュー

<はっぴいえんど解散でごまのはえをプロデュースすることになった>山下くんとの出会いね。まず、72年9月にはっぴいえんどの解散が決まるんだけど、その少し前に全国ツアーがあって、その最後の方に長崎でのコンサートがあったの、8月5日かな。その時に主催…