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ヒストリーオブ山下達郎 第13回 初めての関西ツアー 1974年

亀渕友香さんのステージの翌日、関西ツアーに出た>
74年から75年頃のスケジュール帳が出てきたよ。74年の5月、ライブで生まれて初めて大阪行ったんだよ。よく話に出てくる京都の拾得でライブをやったのが74年5月11日だね。
で、大阪へ行く前の日が、前回話した亀渕友香さんのコンサート(5月7日青山タワーホール)。その日は午前中にCMの打ち合わせをしてるね、多分コカ・コーラのコーラスかな。それで4時に青山タワーホールに行ってる。それで翌8日に大阪に行ってるんだ。
4月3日がデモテープ録り。その前日に御苑スタジオで練習している。
5月22日に写真、これはシュガーベイブのアーティスト写真だね。ケン影岡が撮ったんだ。ナイアガラのスタッフの知人でね。でもシュガー・ベイブの写真が、ケン影岡と言う不思議な時代w   このときの写真は結構使われたよ、あの当時。
この頃にCMって書いてあるけどこれが「三ツ矢フルーツソーダ」だね、多分。この頃からCMの仕事が入ってくるようになって、ようやく食えるようになっていったんだよ。5月の頭までが赤貧洗うがごとき、ってやつねw

<はじめての関西ではカルチャーショックばかりだった>
関西ツアーは誰が仕込んだんだろう、長門くんだろうね、多分。
新大阪まで(福岡)風太とオチカ(近本隆)がジープで迎えに来て、そのまま須磨のラジオ関西のサテライト・スタジオに連れていかれて、公録ライブをやった。6時半本番て書いてあるから、昼に行ってリハやって、確か生放送だった。
お客さん入れて、アマチュアバンドが前座でやって。そのアマチュアバンドがビブラフォンの入ったバンドで、メンバーの中に、後にソニーに入った吉田くんて言う人が居たっけ。このときはまだお気楽な雰囲気で、ラジオ関西のスタジオが小綺麗だったと言う位で、特別記憶には残ってない。とにかくこのツアーは拾得で記憶が全部飛んじゃってるからねw
で、その夜に大阪へ戻って、有名な喫茶店ディランへ連れて行かれてお茶飲んでたらヒロシ(末次博嗣/ごまのはえ→舞台監督)が入ってきた。オールバックで革ジャン着て、サングラスで「お前らかぁコラァ、シュガー・ベイブは!」って、ドジャベ(阿部登)と2人で入ってきて。コレがヒロシとの最初の出会いだった。
そこから風太たちに近くの旅館に連れていかれて、そこに銀次が遊びに来て。それが5月8日。
それで、翌5月9日が六番町コンサート。出演者は布谷文夫さんと僕たちと、後はスターキング・デリシャス。出演順は覚えてない。六番町コンサートは大阪で定期的にやっていたイベントで、その時は布谷さんのバックを、銀次や上原ユカリがやったの。スターキング・デリシャスはスミやん(角谷安彦/ごまのはえ)が作った。彼が大阪に帰ったのが9.21の前だから8月位の話でしょう。だからまだ大阪へ帰って1年経ってない頃に、彼はスタキンを作ってた。
5月10日には大阪の喫茶店デュークでワンマン。客が10人かそこら。一列縦隊で演奏したって言う有名なやつね。
そして11日に京都へ移動して、拾得でライブをやって京都に泊まって、12日に新幹線で帰ってきた。
この4泊5日は本当にすごかったな。
21歳で生まれて初めて行った大阪はカルチャーショック。何しろ関西なんて修学旅行しか行ったことないんだから。修学旅行でも大阪には行っていないの。
まず言語がさ。僕自身が後に大阪からブレイクすることを思えば、嘘みたいな話だけどw 
とにかく何が一番強力だったかと言うと、よせばいいのに大阪の蕎麦屋に行ったんだよ、初日に。それで「すいませんたぬきうどんください」って言ったら、おっさんが「なんやそれ、んなもん、あらへんがな」って、そういう言い方なの。なんでないの?まだ素直な子供だったから。今だったら「なんだよ、このやろう」と思うけど、その頃はもうちょっとナイーブだったから真面目に考えちゃって。
大阪ではキツネはうどんで、タヌキは蕎麦なんだよね。だから「たぬきうどん」なんてないんだよね。カルチャーショックだよ、こっちは東京生まれ、東京育ちだから。
もう、道を歩いていると怖いわけ。ニューヨークに行った時よりも怖かったw しょうがないから大阪で時間を潰すために映画見ようと。ブルース・リーの映画をやっていたんだけど、そういう暴力的な映画は嫌だと思って「暗黒街のふたり」って言うアラン・ドロンのフランス映画を見たら、最後にアラン・ドロンがギロチンで処刑されるんだ。もっと暗くなってさw
ろくな思い出がないんだこの時。たぬきうどんで罵声を浴びられて、ホテルに帰ったら、銀次が来て、どういう風向きが袋叩きにあった話になった。野口は高校の野球部を辞める時リンチにあったと言うし、銀次はアパート暮らしの時にヤーさんに袋叩きにされて出血、みたいな話で。なんかチョー暗くなってさw
それで最後のとどめが拾得だもんね、すごいよ。一番前に座っているお兄ちゃんが、一升瓶抱えて寝てるんだ。で、僕がMCやってる時にいきなりがばっと起きて「おい、やめろやお前ら。もう京都来るな」とか言ってまた寝ちゃうw
楽屋でヘコんでたもん、全員で。そしたら山岸(潤史)が入ってきて「いろいろあるけど心配あらへん。ここで一番怖いのは外人やから。外人はノってたから大丈夫」って、慰めになってないw
でも、外人が暴れるのが一番やばいんだって、後で聞いたら。山岸とは1回東京で会ってるの、ウエストロード・ブルースバンドで来たときに紹介してもらってた。

<スモーキー・メディスンとのステージはみんな燃えたよ>
京都から帰ってきて、1週間後に渋谷ジャンジャン。ジャンジャンの昼って4月ごろからやっているはずだよ。池袋シアターグリーンは6月26日って書いてあるけど、これが最初かな。
シアターグリーンでは2バンド。順番はあまり関係がない。大体ジャンジャン昼やシアターグリーンは2バンドって言うより、例えば、とみたいちろうシュガー・ベイブ、南正人とシュガー・ベイブとかフォーク+ロックってのが多かったんだよ。
そういう場合は必ず編成が少ない彼らが先にやって、シュガー・ベイブが後とかね。そういうパターンが多いから、バンド同士って意外と珍しかったの。だから、共演者はほとんどフォークシンガーで、とみたいちろうが2回、あと誰だっけなぁ。ジャンジャンでVSOPなんてとんでもない対バンもあったなwシアターグリーンはセンチ(メンタル・シティ・ロマンス)じゃないときは久保田麻琴さんとかね、あと南正人さん。それからジャンジャンでは出演予定の小坂忠さんが歯を悪くして入院、忠さんのバックをやってた葡萄畑との対バンになったこともあった。
6月20日の石橋オン・ザ・ロック。オリジナル・シュガー・ベイブとしては最高の演奏、ね。
この時は対バンのスモーキー・メディスンが良かったからね。スモーキーが先で、僕らが後。
楽屋も違ったけど、金子マリと廊下ですれ違ったとき「はじめまして」って挨拶したような記憶がある。ただ向こうはこっちのリハしか聴いてないけど、こっちは本番聴いてるでしょ。そしたらみんな燃えちゃって、妙に対抗意識があって、負けるもんかってw
温厚な野口が珍しく燃えてたもん。これはなかなか良い演奏だったよ。でも後になって金子マリに聞いたら、向こうもかなり意識していたと。スモーキー・メディスンの話は前から聞いてたんだよ。スモーキーもエレックでレコーディングしてたから、山下くんて言うエレック・スタジオのエンジニアに聴かせてもらったことがあるから。なんたって金子マリは下北のジャニスって言われてた時代だから。
ギターがCharで、キーボードが佐藤準、ベースはナルチョで、上手かったんだよ、とにかくみんな。Charなんて17、18歳じゃない?(実際は19歳)。でも、あれ1回だけだったな、スモーキー・メディスンとやったのは。だって彼らは74年中に解散しちゃうでしょ。
バンドってコンスタントにライブをやってるから、結構ダレたりノレない日もあるんだよね。当時は客がそんなにたくさんいるわけでもないし、別に適当にやっても、って思っちゃうんだよ。
でも、福生へも良く行ってたんだよね、この時期。なんだろうね、練習は新宿でやるようになってたのにね。
フォークメイツ公開録音が7月11日か。それかなぁ。でもフォークメイツもリハは御苑スタジオでやっているよ。ゲネ(通しリハーサル)は文化放送でやったし。大滝さんのところに単に遊びに行ってただけかな。
 
<沢チエさんのコンサートも凄かったんだよ>
沢チエさんはレコーディングもしてるけど、あまり覚えていないな。矢野誠さんがアレンジだけどあの時のライブも修羅場だったw
メンバーは矢野誠さん、ユカリ(上原裕)、プー(藤本雄志)、伊藤銀次、アッコちゃん(矢野顕子)。言わなかったっけ?♪マッカーサー・パークの話。
7月19日、草月会館。駒沢(裕城)くん抜きのココナツ・バンクに矢野さんとアッコちゃんがキーボードで、僕とター坊と村松くんで三人でコーラス。
リハーサルの時、アッコちゃんが来なかったの、仕事で。で、ステージのオープニングでバック・バンドだけで♪マッカーサー・パークをやりたいって矢野さんが言ったの。でもユカリとプーと銀次は(楽譜の)初見が弱いから♪マッカーサー・パークみたいな複雑な曲はやめた方がいいと思ったんだけどね。あの曲は通しでやると長いので、矢野さんが譜面のAは半分、Cはカットで、という調子でサイズを短くした。
ところがその場にアッコちゃんは居なくて、その変更も彼女に伝達されていなかった。
悪いことは重なるもので、本番はステージの上手の端が矢野さんで、下手の端がアッコちゃんと言う離れた並び。それで真ん中にユカリとプーと銀次がいて、その後ろに僕のたち3人もいたのね。
マッカーサー・パークの始まりはアッコちゃんと矢野さんの2人のキーボードだったの。でもアッコちゃん何も知らないでしょ。譜面を飛ばすところを、そのまま譜面通りに行っているわけ。矢野さんは直した譜面通りに行くので、だんだんぐしょぐしょになってきて、気がついたアッコちゃんは「B!」「C!」って行き方を叫ぶんだけど、どうしようもない。悲惨なのは真ん中の3人で、もう全く訳がわかんないわけ。当たり前だよね、ついにユカリが堪えきれずに全く関係ないところがドンって入り始めてw
矢野さんはパニクってる、アッコちゃんだけがその後も平然とやり続けて。しょうがないから僕が歌い始めて、それでようやく戻ったんだけど、その日はそのあとエンディングや間奏、1曲たりとも段取りが合うことがなかった。
終わった後の楽屋はもう阿鼻叫喚。今じゃもう笑い話だけど、まぁおおらかな良い時代でもあったねw

<初めて参加したユーミンのレコーディングはすごく面白かった>
7月28日、石橋オン・ザ・ロックの後にユーミンのレコーディング、これは前に話したよね。
このときの石橋は共演が誰だったか覚えてないんだ。その後のレコーディングの印象が強烈だったから。
ユーミンは女子校ノリのきゃぴきゃぴした感じだったけど、同時にお嬢さん然とした育ちの良さそうな人でもあったよ。
ユーミンの音世界はほんとに素晴らしかったな。これは本当に運命的な出会いだった。その上、キャラメル・ママが音を構築して行くところも見られたのも大きかったね。
茂が♪12月の雨の12弦ギターをダビングするところを覚えてるし、後は駒沢くんの♪やさしさに包まれたなら、のスチールギターとか、瀬戸龍介さんのギターとかもね、ものすごく綺麗なんだよね。
普通コーラスでスタジオ行くともう出来てるオケに入れて、はい、さよならじゃない。ユーミンの時は珍しく前後のセッションとスケジュールがクロスしてたの。それですごく面白かった。
ほんとに初めて見る現場で、大滝さんの段取りとは全然違ったからね。
この時代のユーミンのレコーディングはアレンジャーがいていないみたいなもので、要するに全員が勝手にやっていた。でも誰もが全体のアンサンブルを考慮していたから、何一つ無駄なものがない。それはすごかったな。
それで28日にコーラスやって、8月1日にもう2曲やって、さらに3日にもう1曲と。
この8月3日の時にはこのレコーディング前に、渋谷ヤマハの店頭ライブをやってるね。

<芸能界の凄さを垣間見た清里の野外イベント>
7月30日の清里の野外ライブ。これもすごかったんだよなぁw 芸能界の凄さを目の当たりに見たんだよ。
朝6時半に新宿安田生命ビル前に集合で、フルバンドのメンバーと僕達とバス二台で行ったんだけど、フルバンドのメンバーは女連ればかりなわけ。それで楽屋では全員、出番まで麻雀なのね。
あの時の仕事はひどくてね。夏の清里の屋外スケートリンクで、共演がチャコとヘルス・エンジェルス、フレンズ、アンデルセンと言う当時のアイドルグループがずらり。それの前座だよ。お客はもちろん全員女。
司会がいて「さぁ皆さん最初に登場するバンドはシュガーベイブ。みんなでシュガーベイブって言いましょう」ってw客は気のない声で「しゅが〜べいぶ〜」ってw別に興味なんてないんだからさ。1曲目は♪SHOWだったんだけど、ター坊のエレクトリック・ピアノにつないだギターアンプの入力が間違っててトーンコントロール調整がなんと高音ゼロ、低音10になっていて、「1-2-3-4! ゴーン!」て凄い音が出て。アンプのチューニングやり直したり。客は客でこっちが「次の曲は〜」って言うと「え〜まだやるの〜」ってw
ステージもひどかったんだけど、僕にはもう一つ忘れられない思い出がある。楽屋にフルバンドの雑用係のおじさんがいたんだ。譜面整理とかする係。浅黒い顔で生気のないそのおじさんが、小学校に入る前くらい位のちっちゃな女の子を連れているんだよ。今から考えると奥さんと別れたか何かだったのか。で、12時過ぎに弁当が配られて。そしたら麻雀やってるバンマスのところにそのおじさんが行って「バンマスすいません、この子、朝から何も食べていないんですけど、弁当のあまりがあったら」「ナイナイ。人数分」って。僕らは横にいたんだけど、身につまされちゃって1個あげようぜ、って「これ良かったら」って持っていって「ありがとうございます、ありがとうございます」ってさ。細かい部分は昔の話なので夢のようだけど、でもストーリーの大筋は大体そんな感じだった。これが芸能界なんだなって、すごかったな、あれは。本番の悲惨さよりも、そっちの方が印象に残っている。
8月8日、郡山ワンステップ・フェスティバル出演ね。こう見ると毎週結構やっているね。お金には全然ならなかったけど、仕事を入れようと頑張ってたからね。
今の新人バンドはマネージャー側が見せ方はばっかり考えているから、客が5人とか10人とかだと恥ずかしいからやらせない。要するにライブのためのライブじゃなくて、メディアに見せるためのライブだから。動員かけて、そこそこ格好つかないとみっともないから、それが良くないんだよ、場数を踏ませないから。
【第13回 了】