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2022-01-01から1年間の記事一覧

ヒストリーオブ山下達郎 第10回 1973.9.21はっぴいえんど解散コンサート

<長門くんが僕を大滝さんのところに連れて行った背景を初めて知ったよ>長門くんのインタビューを読んで、彼が僕を大滝さんのところに連れて行った背景を初めて知ったよ。彼は意外と戦術家だったということが分かった。もうちょっとナイーブな感じかなと思…

ヒストリーオブ山下達郎 外伝1 長門芳郎インタビュー

<マネージャーになるハズが「ディスクチャート」で働くことになった>72年の秋に「ディスクチャート」が出来た時、僕は長崎県対馬に居たの、東京から一回引き上げて。対馬で現場監督、道路を作ってた。親の金でいかせてもらっていた大学を中退しちゃったか…

ヒストリーオブ山下達郎 第9回 シュガーベイブ誕生

<当時、いろんなミュージシャンのライヴを観ていたよ>1972年、行った来日コンサート。ツェッペリン、プロコル・ハルム、テン・イヤーズ・アフター、ジェームス・ブラウン、それから共立講堂で見たフリー。いろいろ観た中であのフリーと、高校1年の時にサン…

ヒストリーオブ山下達郎 第8回 シュガーベイブ前夜 1972〜73年

<ディスク・チャートで新しい音楽仲間と出会う>僕が運送屋でバイトしてた時、他のメンバーも別のバイトをやってた。鰐川のお兄さんがガラスケースのリース会社に勤めていて、僕以外全員そのリース会社でバイトしてた。デパートの売り場、食品売り場や衣料…

ヒストリーオブ山下達郎 第7回 自主制作アルバム(3)ADD SOME MUSIC TO YOUR DAYのエピソード

<充実した“ごっこ”だったアルバム制作>両面に6曲づつで計12曲。収録時間を長くしてしまうと音が悪くなる、ってくらいの知識は本を読んで知ってた。だから片面15分からせいぜい18分、あの時代のアナログLPの普通サイズ。カッティング・レベルの具体的、専…

ヒストリーオブ山下達郎 第6回 自主制作アルバム(2)1972年

ADD SOME MUSIC TO YOUR DAYを巡る試行錯誤 <レコーディングは全部自己流だった>とにかく製作費を作るためにバイトしたんだよ、13万5,000円。ノルマがひとり35,000円だったかな。曲はディスカッションで決めたんだ。A面をビーチ・ボーイズの曲にして、B面…

ヒストリーオブ山下達郎 第5回 自主制作アルバム(1)ADD SOME MUSIC TO YOUR DAY

<大学では「なんか違うとこに来たな」と思った>大学は全部で4つ、全部法学部を受験、音楽著作権でも勉強しようと思ってたから。運よく3つ目まで合格。でも、3つ目の大学の入学金払い込み期日の翌日が、最後に受けた第一志望の合格発表の日だった。で、…

ヒストリーオブ山下達郎 第4回 高校時代(1968-70年)そしてドロップアウト

<ミュージシャンになろうという気持ちは無かった>ヤング・ラスカルズ、アニマルズ、ビーチ・ボーイズ、、、アニマルズはアレンジ力と演奏力だね。リズムパターンがすごくユニークだったんだよ。♪悲しき願い(Don’t let me be misunderstood)なんてスネア…

ヒストリーオブ山下達郎 第3回 初めてのバンド・中学から高校

<バンドの全員が同じクラスに> 昔はエレキバンドと言うのは実に金のかかるものだったんですよ。アンプ、ギター、ドラム。どれもどうしようもなく高くて。エレキバンドと言うのは実は当時の日本ではアッパーミドル以上のぜいたくな趣味なのね。 エレキを持…

ヒストリーオブ山下達郎 第2回 中学時代 1965-1967

< 運命的だったブラスバンド入部/豊島区立高田中学へ通学 >高田中学は去年(2002年)少子化のあおりで、統廃合されて名前が無くなっちゃった。あの当時は高校受験に有利なように、自分の学区じゃない遠くの中学に住民票を移してわざわざ通うというパターン…

ヒストリーオブ山下達郎 第1回 池袋時代、誕生から小学校(1953〜66年)

ついに50歳を迎えた山下達郎、これまで生い立ちなど紹介した事もあったが、改めて達郎バイオグラフィーの決定版を目指して連載を開始[2003年夏] < 僕の家は職工の家系だったんだよ>生まれたのは本郷の病院なんだけど、両親が当時住んでいたのが池袋の西口…