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鼎談2017/細野晴臣・山下達郎・星野源

〈好きなことしかやってないからね。前は辛いこともあったけど(細野)〉
  
山下 細野さんとちゃんとお話しするのは、今日が初めてなんですよね。
星野 初めてなんですか? 
細野 そう。長い付き合いなのに初めて(笑) 
山下 「パイドパイパーハウス」の店長だった長門(芳郎)くんの結婚式の時くらいですね。あの時はずいぶん一緒に居させていただいて。後はLDKスタジオに見学に行ったとき。
星野 じゃ、お会いするのも何十年ぶりって言うことですか?
山下 35年とかそんな感じ? 坂本(龍一)くんとは昔から仲良かったけど、細野さんとはなかなか接点がなくて。
細野 不思議だよね
星野 接点があるものだと勝手に思い込んでいて、今日は3人でお話しできたらと思ったんですけど。
山下 まぁレコーディングに呼んでいただいたりとかはありましたけどね。泰安洋行とか。
星野 「蝶々san」の船長の声ですね。
山下 あとティン・パン・アレーも。コーラスでは細野さんが嫌がることばっかりやっちゃって(笑)
星野 ハハハ。嫌がること
山下 ティン・パンが演奏してる曲のコーラスはずいぶんやらせていただきました。当時。コーラス・ボーイが全くいなかったから。 
細野 そうそう、ずいぶんやってもらってる。助かってたよ。
山下 スタジオの中ってお互いそんなに話さないんですよ。それこそ3時間で2曲あげるみたいな感じだったでしょ? どんどん機械的にやっていくから。CMだって15秒30秒ものは、3時間でカンパケですから。
細野 そうそう。
星野 じゃお仕事は一緒にしてたけど、それからずいぶん間があいちゃったと。でも、お二人ともずっと音楽を作られてますよね。作品もそうだし、ライブも活発にされてるし。
山下 細野さんはこの数年間、ライブを活発になさってますね。
細野 うん、好きになってきちゃった、ライブ。
山下 ライブ嫌いで有名な細野さんが、ねえ。はっぴいえんどの頃、細野さんが新幹線のホームにちっとも来ないので、マネージャーの石浦(信三)さんが狭山の家まで行ったそうですね。そうしたら細野さんが風呂場に隠れてたって(笑)。ライブに行きたくないっていう理由で。それ、大滝(詠一)さんからずいぶん聞きましたよ。
細野 そんなこともあったのかな(笑)。全然覚えてない。いや変わったんだよね。
星野 今歌うのが楽しいですか?
細野 楽しい。なんでこうなったんだろうね。
山下 やっぱり好きなことだからじゃないですか?
細野 そうだね。好きなことしかやってないからね。前は辛いこともあったけどジェームス・ブラウンの前座で出て、座布団が飛んできたりとか(笑)
星野 僕もビーチ・ボーイズの前座を務めるって言う、すごい大変な経験がありました。オープニングアクトは「アメリカ」だったんですよ。その前に日本人に出て欲しいって呼んでいただいて、大好きだったからやらせてもらったんですけど、客席がほんとに怖かったです(笑)細野さんはその時客席にいらっしゃって。それが救いでした。
細野 星野くんを見て、その後ビーチ・ボーイズが出てきて、3分の1位で外に出ちゃった(笑)これがビーチ・ボーイズかって。悲しくなっちゃって。
山下 そうですね。今はビーチ・ボーイズが日本に来ても、行かないもん。でもそうは言いながら、昔大阪フェスティバルホールのブライアンのソロに行ってきたんです。キーボードは弾かないし、歌詞はプロンプターだし、演奏は全然アレなんだけど、本人がやってるともう駄目。古今亭志ん生の落語を観るみたいな気分で。
細野 ほんとほんと。
山下 それがまた切ないの。許す自分が切ない。
細野 いろんな思いが来るからね。そういう存在なんだよ、Brian Wilsonて。
星野 昔、細野さんがビーチ・ボーイズみたいに歌いたかったけど、歌えなかったと言う話が聞いたことあります。
細野 大滝くんの前でサーフィンUSAを買ったらケラケラ笑われて。
山下 ハハハいいじゃないですかね
細野 ちょっと低い声でね(笑)♪If everybody had an ocean〜
山下 細野さんの声がいわゆるバリトンですからね。
細野 あぁ小西(康陽)くんもそんなこと言ってたね。テネシー・アーニー・フォードみたいだって。
山下 話し声も低いです。でもその声のトーンとか口調とか、全く変わってないです、この30年間。
細野 変わってないかな。自分だってそうじゃない。全然変わってないよ
山下 そうですか?
星野 ハハハ、お互い自信無いんですね。
  
  
〈初めて自分で演奏したのは幼稚園の時に木琴で弾いた“ライフルと愛馬”でね(山下)〉
  
山下 細野さんは最初はギターだったと伺ってますが、どうしてベースになったんですか?
細野 中学の時エレキブームでね。メンバーを集めると、みんなベンチャーズをやりたがるんだ。で、みんなギターしか弾かない。しょうがないから僕はベースをやって。
山下 しょうがないからベースになったんですか?(笑)でも僕が申し上げるのもなんですが、細野さんはリズムのポイントがとにかく正確で。昔、池袋のヤマハにWIS(ワールド・インストゥルメンタル・ソサイエティ)って組織があって、毎月1回オーデションをやって、エースって言う一番うまいメンバーに選ばれると、ビアガーデンのバイトとか紹介してくれるっていう。そこで細野さん達がおられたバーンズと言うバンドがエースメンバーだったじゃないですか。
細野 そう?
山下 細野さんがベース。松本隆さんがドラムのバンドで、ジミヘンやヴァニラ・ファッジをやっていた。僕らもオーディションを受けて、シニアってエースの1つ手前まで行ったんだけど、虎ノ門発明会館でライブをやったときのトリが、バーンズだったんです。Keep Me Hanging Onで松本さんのドラムたるや、すげえ、カーマイン・アピスまんま、みたいな。
細野 そんなによかったんだ。
山下 あまり印象にないんですね。
細野 ないんだよ。あれは割と手伝い気分だった。
山下 そうなんですか? でもベースとドラムの上手さは鮮烈に覚えてますよ。僕は当時高校1年で。
星野 じゃぁお二人はその時すでに同じステージに立っていたんですね。それもすごい。
山下 僕らビーチ・ボーイズコピーバンドでHushabyeとかそういうのやってたんです、コーラスで。そしたら次のバンドからすれ違いざまに「お前らは、なんでそんなつまらない音楽をやってるんだ」って。
星野 嫌ですね。
山下 あの時代は完全にベンチャーズの影響で、ギターの一番上手い人がヒーローだったんですよ。その人がリードギターで、その次がサイドギター、ベースってだんだん格が下がってきて、ドラムとキーボードはちょっと別の領域。で、何もできない奴がヴォーカル。だから日本ではヴォーカリストが育たなかった。
細野 ヴォーカリストはほんとに不在でね。何度困ったことか。
星野 なんでですかね、ほんとに居ないですよね。僕もヴォーカリストが周りになくてSAKEROCKインストバンドになりました。
細野 結局、自分で歌うことになって。
星野 そうなんです。細野さんがビーチ・ボーイズみたいに歌おうとして歌えなくて、ジェイムス・テイラーを聴いて、こう歌えばいいんだと思ったとか、達郎さんがブルーアイドソウル聴いて日本人がソウルやR&Bをやるってところにシンパシーを感じたとか、そういう話に僕は希望を見出して、最終的に自分も歌っていいんだと思いました。
山下 まぁでも、グループサウンズとかみんなそうだったしね。細野さんがギターを弾き始めたのは、いくつなんですか?
細野 小六だね。
星野 早いですね。
山下 きっかけはなんですか?
細野 クリスマスに銀座の山野楽器に連れていかれてうろちょろしてたら、コートの袖にギターが引っかかって。それがジャラーンってなって、ゾゾゾってきて、その6,000円のクラシックギターを買ってもらってから。
星野 そこで引っかかってなかったら、違う人生になってたでしょうね。
細野 違ったんだろうね。
山下 練習は結構されたんですか?
細野 最初にね、Emのワンコードで弾けるハンク・ウィリアムズのKawーLiga って言う曲をズンチャン、ズンチャンって、ずっとやってた。
山下 僕らの時代は「花はどこへ行った」でしたね。あれは循環コードの曲でC ーAmーFーGって延々続くんです。それをみんなで練習してたんだけど、Fが来ると押さえられないって言う。
星野 僕らの世代は循環コードの定番だったのはブルーハーツでした。コードが少なくて。歌っていて気持ち良い。
山下 邦楽なんだね、もう。
星野 みんな邦楽でしたね。でも僕は親がベンチャーズタブ譜を持っていたんですよ。ホチキスで止めたみたいな古いボロボロのやつ。だから最初はベンチャーズでした。
山下 どうしてギターに興味を持ったの?
星野 親がギターを持っていたと言うのと、中学生になってみんなギターをやり始めたので。置いてかれると嫌だなって言う、最初はそういうちゃんとしてない理由です。
山下 やっぱり多かれ少なかれ、音楽に興味のある家庭ですよね。細野さんも星野くんも。うちもそうです。
星野 ご両親がやられたんですか
山下 いや両親とも映画が好きで池袋に住んでたから、日勝地下とかの名画座に毎日のように連れていかれて。「リオブラボー」は7回観てる。だから初めて自分で演奏したのは、幼稚園の時に木琴で弾いた「ライフルと愛馬」ですね、ソミドミドラドというね。
細野 そんな幼稚園児見たらびっくりするね(笑)。
  
    
〈この3人でベンチャーズをやるのはやばいですね(星野)〉
 
星野 達郎さんが洋楽に目覚めたのは?
山下 もちろんベンチャーズから。中高6年間とブラバンでドラムだったから、ベンチャーズへの興味も、とにかくドラム。リードギターはコードも知らないけど、ドラムならコピーできる。
細野 じゃあ僕たちでバンド組めるじゃん。ギター、ドラム、ベースで。
星野 ハハハ。この3人でベンチャーズやるのはやばいですね。達郎さんが歌いだしたのはいつぐらいからでなんですか?
山下 歌ねえ、いつと言われるとなかなか難しいんだけど、小学校高学年から歌の成績は良かったですよ。
細野 少年合唱団みたいなのに入っていたの?
山下 いや、入っていません。中学の時に組んだアマチュアバンドで、元はスペンサー・デイヴィス・グループとか、そういうのやってたんです。だけど僕にビーチ・ボーイズを教えてくれた親友が、そんな一般的なものはやめて、ビーチボーイズとかをやろうと。最初にトレメローズのSilence Is Goldenをコピーしたんですね。コピーって大事じゃないですか。その仲間の中に鰐川って言うシュガー・ベイブのベースになるヤツがいたんですけど、彼のコピーは本当に正確で、例えばトレメローズのイントロでみんなが適当なことをやると「そうじゃないよ、こうだよ」って。
細野 そういう人がいると助かるね。
山下 本当に同じ音になるんです。だったらコーラスはどうなんだろうと思って、そこからですね。ビーチボーイズとかトレメローズとかを耳コピするようになって。でもダビングが多いから、例えば「英雄と悪漢」なんて、どうだかわからないわけですよ。だけど、フォー・フレッシュメンなら一発録りで四声だから、絶対にコピーできる。だから一生懸命やって、そこから僕はコードテンションを覚えたんです。僕の音楽理論は全部フォー・フレッシュメンから。これはIn This Whole Wide Worldのあそこだな、みたいな。
星野 すごい。そこから歌をやることになったんですね。
山下 うん、裏声を出せたのが、僕ひとりだったんで。
星野 作曲はいつ頃からですか?
山下 最初は中学卒業くらいにインストを数曲作ったんだけど、まともに作り始めたのはシュガー・ベイブからですよ。それまでは遊びですから。細野さんは曲を作り始めたのはいつ頃ですか? バーンズの時はコピーですよね。
細野 コピーばっかり。
山下 じゃ、はっぴいえんどの時が初めてですか?
細野 バーンズで2曲ぐらい作ったんだけど、それは習作だね。今は全然聴きたくない。
山下 細野さんは昔のものを聴きたくないって言うんですよ。どんどん前に行く人だから。30年くらい前かな、音楽雑誌のインタビューで「自分みたいに全く同じことをやり続けるか、細野さんみたいに千変万化して変わり続けるか、道は2つしかない」って言ったことがあります。中途半端はダメなんだって。
細野 その極端なのが、ここにいるんだ(笑)。
山下 はっぴいえんどをやって、Hosono Houseがあって、トロピカル路線に行って、その後はYMOでしょう? その変わり方ってちょっとないですよ。
細野 だから、後ろを振り向くとだれもいない
山下 ハハハ。飽きちゃうんですか?
細野 飽きるっていうか、完成したらそれでおしまいじゃん。はっぴいえんどもそうだよ。「風街ろまん」ができてもうやることがないって満足しちゃったから。
星野 でも、今の細野さんの活動は長く続いてますね。
細野 ひとりだと解散できないから(笑)。


〈一流のミュージシャンに自分のイデアを強要することが正しいのか正しくないのか(山下)〉
  
山下 この数年ずっとアルバムを聴かせていただいて、やっぱり好きなことをやっていらっしゃるから、本来の細野さんの空気感っていうんですかね、それで成立することをやっている感じがして。
細野 そう。それは歳を取ったからできるんだよね。しがらみがない。義理もない。好きなことだけをやる。それは歳を取らないとなかなかできない。
山下 そうでしょうね。早くそうなりたい。
星野 達郎さんでもしがらみを感じる時ってあるんですか?
山下 ありますよ。何のしがらみもなく、アルバムを作りたいと思うもん。そうしたらすぐできるのに。
細野 やったら? 手伝うよ。大滝くんにもみんなで手伝う、って言ったんだ、なかなか作らないから。そしたら「それは細野流の挨拶だ」ってかわされちゃって。
山下 いや、細野さんにこうしてくれなんて誰も頼めないですよ。
細野 そうかな?
山下 「SPACY」で細野さんにベースをお願いしたでしょう? あの時、そう思ったもん。一流のミュージシャンに、自分のイデアを強要することが正しいのか、正しくないのかって。ほんとに優秀なミュージシャンは自分で考えて、自分で作れるんですよ。だからもしかしたら自分のイデアと合致しないことになるかもしれない。
細野 あの時はどうだったの?
山下 いやいや、あれはもう考えた通り。おかげさまで。
細野 ああ、よかった(笑)
星野 でも人選というか、誰にやってもらうかでほぼ決まる感じはありますよね。
細野 まぁ、そうなんだよ。
山下 スタジオミュージシャンが全盛の時代は、他人の仕事でも自分と同じメンバーが演奏するでしょう? そうすると自分の音って何なんだろうと思うんです。で、バンド上がりだから自分のリズムセクションが欲しいなって思ってくる。
星野 すごくわかります。
山下 そう思った時に、ちょうど青山純っていいドラムが出てきたので、これでレコードとライブが全く同じ音になるって。それすごく重要だから。
細野 僕もそれに近いよ。同じ。
山下 細野さんはやっぱりリズムセクションにすごくシビアですよね。だからドラムは松本さんでありミッチ(林立夫)であり(高橋)幸宏さんであったり、って言う。
星野 今は伊藤大地くんですね。昔からの仲間なので嬉しいです。
細野 大地くんはすごく成長してね、ベテランになってきた。
山下 でもリズムセクションで実はベースが結構精神的なリーダーで。
細野 ほんと?
山下 そうですよ、ベースが引っ張ってるんです。
細野 そんな話を時々聞くけど、実感は無い。
山下 実感ないですか(笑)。やっぱり細野さんは細部に至るまで満足しないと気が済まない人なんだな。
細野 そんなこともないよ。別に不満の塊でもないし。
山下 今までの全作品を振り返って、もちろん会心の作品は有るでしょうけど、目標値と実際に想定した値とのギャップってあるじゃないですか。変な話ですけど、例えば具体的にどの作品がその差が少なかったか、そういうのありますか?
星野 すごく厳しい質問(笑)
細野 尋問に近いよ。
山下 だって細野さんは、ある意味すごく実験的なんですもの。
細野 大滝くんもそんなこと言ってたよ、アバンギャルドだって(笑)
星野 逆に達郎さんはありますか?
山下 いや、自分の話はあんまりしたくないんだけど、僕の場合は総力戦だと思ってるんです。詩、曲、編曲、演奏、歌唱、エンジニアリングまで含めた、ひとつのトータルパッケージとして。で、僕は詩にそれほど秀でていると思ってないんで、そういうところを曲で補ったり、演奏で補ったり、全てが補填しあって自分の作品だって言う。だからそういうことを考えると、82、83年のアナログ・オーディオがピークだった時代ですかね。
星野 じゃあその頃の作品が、自分の中では会心の出来ですか?
山下 よく言う話なんだけど、必ずしもその人にとってのベストソングが、ベストセラーにはならないじゃないですか。でも、クリスマスイブはそれこそ詩、曲、演奏からいろんなファクターまで、自分の人生で一番よくできた5曲のうちの1曲なんですよ。だからあれがベストソングだって言われるのは、本当にありがたいというか。
細野 あぁ、そうなんだ。
山下 あの時代がそのまま続いていたら、もうちょっとよかったんですけど、デジタルが出てきちゃって。自分にとってのデジタルのトラウマって、ものすごくあるんですよ。プロツールスが出てきた時も、どうしようと思ったし、10年位前。いまお仕事はどこでなさってるんですか?
細野 バンドの時は音響ハウスで録ってるね。基本は白金の事務所の地下にあるスタジオで。
山下 プロツールスですか?
細野 プロツールスは使わない。外で録るときはエンジニアの趣味で使うけどね。48キロヘルツで録ってるから、96キロヘルツに変換してダビングとミックスをする。
山下 普通と逆なんだ。
細野 96キロヘルツでとると底なし沼になっちゃう。
山下 そうですよね。同じです。僕も96キロヘルツは全然だめですもん。
星野 底なし沼っていうのはレンジが広すぎるって言うことですか
細野 まぁそういうこともあるし、音像が固まらないんだよね。ポップスじゃなくなるんだ。
山下 そうそう。ワールドミュージックみたいなのはそれでいいんだけどね。ロックンロールだとスカスカで我慢ならない。そうかヨンパチで録って、クンロクで行くのか。なるほど。それは考えたことなかったな。昔デジタルの時は、打ち込みって何でやってたんですか?
細野 全部デジタルパフォーマーだね。その前にMC4があって、次はNECで、それからカモンミュージック。
山下 僕は未だにカモンですよ。
星野 えー!
細野 ほんと? すごい! カモンのソフトってまだある?
山下 あれをウィンドウズ10で動かす猛者がいるんですよ。
細野 いまだに使ってるっていうのは、今日一番のニュースかもしれない(笑)でも音楽のワークステーションって、新しいければいいってもんじゃないよね。
星野 昨日レコーディングしたんですけどそのスタジオの卓がソリッド・ステート・ロジックの古めのやつに変わっていて、すごくいい音でした。
山下 今はみんなコンピューターの中で全部やっちゃって、クジラみたいに大きい昔のシンセとやるような人は誰もいないけど、あっちのほうが絶対に音いいもんねぇ。
星野 そうですよね。
山下 ちなみに細野さんはオペレーターとかいらっしゃるんですか?
細野 ほとんど自分でやってる。メンテナンスを原口(宏)くんて言う、田中(信三)さんの弟子にやってもらってて。いや、悩むんだ。歳とると耳がおかしくなるからさ。1キロヘルツが上がっちゃって、自分の声がうるさくてしょうがない。だから切っちゃうんだよね。
星野 そうするとあの音像になるんですね。
山下 不思議な音像ですよね、いい意味で。変な言い方ですけど、キューバブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブみたいなね、空気感が。
細野 空気感が出てるんなら嬉しいけど。気力でやるしかない。
  
  
〈僕も同じだよ。大滝くんが聴いたらどう思うかって、そう思いながら作っている時がある(細野)〉
  
山下 でも、細野さんは多作ですね。
細野 もっと作りたいんだ。自分を追い込んでるんだけどね。時間がないんだよ、僕には多分ね。
山下 そういう人に限って長生きするんですよ(笑)。大滝さんなんて、あと20年は生きようってつもりだったんだから。
細野 本当だよね。突然だったな。
山下 でも、あの人いっさい医者に行かない人だったんですよ、風邪ひいても、何しても。そういうとこ気弱でね、結構。
細野 繊細なのは知ってる
山下 その反動ですね、外に見せる姿は。
細野 「無風状態」って言う曲をはっぴいえんどの最後のアルバムで作ったら、その後で大滝くんが来て「あれは自分のことを歌ったのか?」って聞くんだよね。皮肉だと思ったのか。全然そんなことないんだけど、すごく繊細だなと思った。
山下 大滝さんとは1973年から40年くらい付き合ったけど、彼の作っているもののほとんどは、全部細野さんに向けて発信されてますから。これを細野さんが聴いたらどう思うかって。
細野 僕も同じだよ、大滝君が聴いたらどう思うかって、そう思いながら作ってる時がある。なんかね、気になるんだ。でも大滝君がそう思ってるとは知らなかった。
星野 お互いに思ってたんですね。
山下 本当にそう。NIAGARA MOONのときの第一目標はティン・パン・アレーをどれだけ困らせられるか。
星野 ハハハ、まじですか。
細野 いや困ったよ。NIAGARA MOONをクラウンのスタジオで聴いて「負けた」って言ったらしいんだよ、僕は。それを南こうせつが聞いてたんだよ、僕は全然覚えてないんだけど(笑)。
山下 大滝さんと話してると三分の一くらい細野さんの話なんですよ。
細野 そうなの?
山下 いかに意識してたかっていうね。
細野 『A LONG VACATION』を作る前に、大瀧くんが一人でキャデラックを運転して、うちまで訪ねて来たの。今までそんなことなかったからびっくりしちゃって、なんだろうと思ったら、「自分も売れるから」って。
山下 ははははは。そうか、YMOの後だから。
細野 宣言しに来たんだ。
星野 それは……ものすごい話ですね。
山下 いや、そう考えると、細野さんに伺いたいことがたくさんあるんですよ。ベースの事とか。どこかのインタビューで話したことがあるんですよ、ベースは細野さんが日本一だって。細野さんは僕の人生で最高のベーシスト。
細野 ほんと? なんか嬉しいね。
山下 それはそうですよ。表現力、テクニック、タイム。
細野 テクニックは無い。すごくコンプレックスがある。ジャコ・パストリアスとかに対してね。
星野 ジャコにコンプレックスを抱いている細野さんてすごいですね(笑)。
山下 面白いなぁ、でもジャコに細野さんはできませんからね。70歳になってなお創作意欲がそうやってお有りになるというのは、本当に見習うべきところで。私事で申し訳ないですけど、一緒にやってた連中が結構具合悪くなっちゃったりして。
細野 そういうのはあるね。
山下 歳をとっていくと、昔の一番良かったときの実績みたいなものにとらわれるじゃないですか。でも、あの時の演奏をもう一回やりたいとか、そういうことにこだわると、懐古趣味になるから。もちろん、そういう実績が積み重なっていくのは悪いことじゃないけど、そこで一回リセットしていけないことだって、ひとつもない。ベーシストにしても、ドラマーにしても、アレンジャーにしても、15年、20年経って昔と同じことができるかっていうのは疑問だから。僕もドラマーを替えて10年目ですけど、20人近くオーディションして、23歳のドラマーにして、最初は非難轟々で、なんでそんな無名のやつを使うんだって。でも10年経って、その小笠原拓海くんも30歳超えて、今はもう誰もそんなこと言わない。そういうのが大事だなって、あの時、細野さんのことを思い出したもん。
星野 それまでと違う人とやることに対して、ファンの人からも批判もあるだろうし、周りのスタッフからの疑問もあるでしょうしね。
山下 結局音楽って生活の対象化でしょう? 耳で聴いた経験や記憶の美化も同時に行われるから。それが新しい違うものに変わると、人によっては増悪するんだよね。でも細野さんはそういうものも全く平気。
細野 全然関係なくやってた(笑)。
山下 そこがすごいんですよね。ジャズのインプロビゼーションで一番優れたものは、次に来るフレーズを50%は観客の期待通りにやって、50%は観客を裏切るようなもんだって言った人がいるけど、ポップミュージックにも、そういう期待と裏切りのバランスがあって。そういう意味では細野さんの音楽って、非常に個人的ですよね。
星野 個人的でありながらポップスであるって言う、そこがお二人に共通した部分なのかなと思います。これを機会に何か生まれるといいですね。
山下 お願いしますよ、今度、コーラスでも何でもやりますから。
細野 じゃあ、今度呼ぶ。
山下 いつでも呼んでください。
星野 僕も混ぜてください(笑)。
細野 うん、そうだね。
【了】