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nakata.net「日本語の文化」について

ラトビア戦でのインタビューに関して、10月10日付で中田ヒデ選手の正式コメントが発表されましたね。タイトルはずばり、日本語の文化。
http://nakata.net/jp/hidesmail/hml254.htm

ここでヒデ選手がいろんなことを投げかけています。どうしたらよいのだろう? と。

“今日の試合は2-2でしたが…”という、質問にはどう答えれば良いんだろう?
この質問の先にはいくつもの可能性がある。

中田ヒデ選手、答えてあげましょう、最適な言葉は、「そうですね...、(と言って間を置く、そしてインタビューアーの質問を待つ)..」、ですね。
これで良いんです。 
わかりますか? 中田さん。日本語とはそういうものがベースなんです。
そんなことも気づかない? 20何年も日本人やってて(最近は日本語あまりしゃべってないと思いますけど)。
そんなインタビューの空間に何の意味がある? 何が生まれる? とでも言いたいでしょうか。
でもね、何も生まれない空間の必要性について、あなたは考えたことがありますか?
世の中の出来事に「何もかも意味がある」なら、こんなに人生生きていくのに苦労しません。外国人との仕事だって苦労しませんよ!

俺は悪気があったり相手を馬鹿にするために、質問に答えることはしない。
だったら最初から話もしないし…。ただ、相手がきちんと考えて質問をしていなかったり、自分が聞きたい答えを導き出すためだけの質問にはそれなりの対応をする。それが見ている人には不快に映ることもあるかもしれない。

ボクは大いに不快ですね。
ただ、それだけのことかもしれません。
何人かの人達には痛快に見えたようですし。
しかし「それなりの対応」とは大きな発言だ。
少なくともあなたの発言は大きな意味を持つ。TVに写され、何十万、何百万の(あなたと同じ国民である)日本人が見るのです。それを理解されていますか?

でも、俺は必要なことだと思うし、続けて行こうとは思っている…。

この言葉はしかと受け止めさせていただきます。潔い良い(中田ヒデ選手らしい)決意
だと思います。
でも多くの人が不快と受け止めるその理由を「本当に心底まで」考えたことがあるで
しょうか?

多分ないでしょうね。そんな必要ない、と思っていらっしゃるかもしれません。
事実「正直、何でこんな(批判の)Mailをもらうのか俺には分からない」とコメントされてますものね。

でもはっきり言いいますが、このインタビューの顛末において「日本語の文化」とタイトルを出して、コメントを出すのは「僭越」過ぎますね。
あなたがたとえ「世界のナカタ」であろうとも。

ボクが予感するに、直接会ってお話すれば、おそらく中田ヒデ選手は「実に理路整然とした、主張を持った、気持ちの良い青年」という印象を受けると思います

でもだからこそ言いたいのですよ、ヒデ選手に。わかりますか? 
この(あなたと同じ海外で暮らす)ある一人の、さえない、ちっぽけな、でも日本を愛する日本人の気持ち。

「日本語の文化」と大きなタイトルを出しながら、日本語についての理解についてはまだまだではないでしょうか。
むしろ、日本語(あるいは日本)を誤解している、とさえ想います、貴兄の言動を見ていると。
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この話題では
http://ketto-see.txt-nifty.com/blue_sky_blue/
さんのところには多様なトラックバックも集まっていて大変読み応えがありました。
ブログでこのような論議ができることはとても有意義なことだと感謝しています。
なお、この問題・論議のすべての元凶が、このインタビューを全国に放送した
「サッカー中継最凶局が代表放送権を握ってしまったという事実に終結する」、
ということをボクも大いに認識しておりますので、その点は是非ご了解ください。