山下達郎とグーフィ森(福山雅治P、exイカ天審査員)の対談(山下達郎FC誌より抜粋)

グーフィ森「成功者だからできる何かを始めるじゃないですか、バカな別荘作ったりとか、
達郎さんはなんでそういうのがないんですか?」

山下達郎「別にカッコつけるわけじゃないけど音楽が、レコードが全てだったから。
今やってる番組(サンデーソングブック)でもFM東京のレコード室はほとんど使ってない。
集めたレコードを使って番組を作るのは一種の社会還元だと思っているからね」

グーフィ森「何でそんな話をしたかというとロック幻想みたいなものが、それはポップスターでも何でもいいんですけどどっかミュージシャンでありながら、憧れることが作品でなかったりするじゃないですかミックジャガーやジョンレノンの言動だったりという。
純然たる作家として産み落とした作品へのリスペクトはあるものの、
そこに憧れるのではなく、ソレを作った人のオフにあこがれているわけですよ。
いい女をつれていつも歩いている。豪邸を買った、こんなスキャンダルがあった、みたいなこと」

山下達郎「それはまさにあなた方の世代の発想だよ」

グーフィ森「いやそうなんですけど、それがない時代の人たちがやっぱり強いんだなということを凄く感じるんですよ」


山下達郎いや、僕らの世代にもロック幻想はあった。ただいわばミュージシャンていうのが厳然とあってね、ひとたびスタジオに入ればゴタクなんて通用しなかったから。あくまで演奏力、作曲力、編曲力、読譜力、あるいは録音技術、そういう技術力でしか認めてもらえなかった。
今のアイドルシンガーとか、ダンスをやりたくってステージに立ってるのか、
歌を聞かせたいのか、はたまた大衆煽動をしたくて立っているのか、
MTVと称されるものは一体何をアピールしたいのか。
音を聞かせたいのか、映像を見せたいのか、
映画みたいなストーリーを作りたいのか、
全然分からない。そういう中途半端な時代」


この対談の中にはボクが日頃からPop Musicに接しながら想うこと、
そしてこれは“俺のロック”に対するボクの回答が含まれているとも感じています。

仮に音楽を、“俺のロック”の道具に使って行くなら、それも良しとしましょう。

でもボクは音楽が好きだし、(優れた)音楽家には敬意を表したいし(単純にスゴイと想っているし)。

「音楽」が好きなミュージシャンはその“音”を聞けば分かります。それがその音楽家の音楽に対する姿勢であるし、そういう「音楽に対しての謙虚さ」みたいなものをどれだけ持っているか。
それって、音楽をやっていく人にとって、とても大事だと想ってるんですよね。

そんな気持ちを感じさせてくれる音楽家の“音”にはホッとさせられます。

結局、ニンゲンがつくるんですものね、音楽は。


今年も終わりですね……今年はいろんなことがありました。
最後の最後にこんな大きな天災が訪れるなんて。
お世話になりました。