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2度の劇場鑑賞、スピルバーグのMUNICH(ミュンヘン)

前回観たのがタイ公開初日の2/9だったので3週間近く前。日本でもとっくに公開中でタイミング的にはズレたかもしれませんが、週末(日本では3/6早朝)アカデミー賞発表もありますし。
 3時間近い長丁場ですが、冒頭、そしてその後3度に分かれて描かれるミュンヘン五輪(1972)での人質劇の顛末が効果的な配置になって本編を引き締め、その長さを感じさせません。
プライベートライアン』や『宇宙戦争』で見せた残虐描写も、今回は必要不可欠な範囲で、過剰とは想いませんでした。でも子供にはキツすぎるかも。当然、恋人と二人で見るのもキツいでしょう(笑)。


ボクが何よりもこの映画で感じたのは「映画的表現への回帰」でしょうか。
舞台が70年代ということもあるでしょう。派手なカメラワークやCGを駆使するシーンがなく、FIX(固定)、トラック(横レール)移動、(銃撃戦などでの)手持ち撮影や望遠レンズの使用、そしてたびたび使用されるカットバック手法(コッポラを想い出す)……
本来、20世紀に花開いた映画なるものはまったくそれらの手法だけで十分にテーマは伝わるのに、いつのまにかアニメーションのような派手しい表現を手に入れることで本来の想像力を失なわせてしまったように感じています。
本来、映画は受け手が何を感じるか、そのノリシロをのこしておくべき、そうしないと観客の想像力さえを奪ってしまう……
少々脱線しました。


いろいろな映画のシーンを思い出しました。アヴナーをリーダーとする5人が最初に集まって食事をするシーン、話し声が絞られ、5人の笑顔に音楽だけが重なる。あれはディアハンター
標的であるパレスチナ人の子供が爆弾に巻き込まれる?!というサスペンスシーンではスカーフェイス
モサドが逆襲されていくシーン。爆弾製造のプロの家が爆発される、偽造書類のプロが川べりで死んでいるシルエット画像、あれにはゴッドファーザーを思い出しました。

MUNICHを「スパイ映画としても楽しめる(優れている)」という論評を見つけましたが、それは違うと想います。
スパイ映画として成立させるならモサド5名の「人間」としての側面をもっと引き出すでしょう。今回はそれをリーダーであるアヴナー人に絞り、また、そのアヴナーの人間像さえも、対家族ではなく、イスラエルという「国家」との葛藤を中心に描くことで映画のテーマをはっきりと見せています。つまり映画全編が「人間くさくない」という点です。とても冷たく淡々とした感触
この映画は「愛すべき映画」の類(たぐい)ではないことは確かです。それは監督の狙いでしょう。よって、

何よりもこのテーマを昔から愛しているように見受けられるスピルバーグは、最新作の『ミュンヘン』でもその精神を盛り込み、工作員チームのリーダーの家族状況を描くことで、キャラクターや物語に深みを与えている。

という宣伝文句はまったくフィットしてません。そんなことを期待する映画ではないのです。


期待通り、非常に力を持った映画でした。スピルバーグをひたすら苦手としてきた筆者にはスペシャルなスピルバーグ映画、となりました。
オスカーはどうやらカウボーイの同性愛を描く「ブロークバックマウンテン」一人(一本)勝ちのようですが、それとて問題は無い気がします。
そんなところで成立している映画ではないと想いますので。
author:匠武士 
*本家webタイで想う日々、日々更新中!