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 華氏911、その後

Sony PD-150



その後といっても、映画は絶賛上映中なワケで(苦笑、
ボクの方は先日、(日本だから当然ですが)
念願の「字幕付き」でみることができまして。
このblogで感想書き上げて、いろいろネットを巡って、
ボクのところにもTBやコメント頂いて、うれしかったんですが。


はてなユーザーの方もどんどん劇場に出かけているようで、
サブカル繋がりの
「サンキュー! ○○○○!」 - 士はおのれを知る者のために死すさん
Football繋がりの
2004-09-02さん

のようなアンテナお仲間の方々にも、
駄文紹介いただきまして、
やはり広がる華氏911(&誰も知らない)論争!


で、想いもあらたに、華氏911で想うこと、第2弾を。
実は以前、書き損ねたことがありまして。


それは、町山サンのところで出た話題だと想うんですが、
漫画夜話などで著名なオタキング岡田サンの「ボウリングフォー〜のラスト
(C・ヘストンを呼び止める時)の切り返しはありえない!」って話で、
「あんな作為的な映像つくるムーアは信用できない」みたいなこと。


どこまでがドキュメンタリーかっていう論争で。
そしたら、はてなユーザーで、「それなら監視カメラでも観てればいい」ってことを
話されている方がいまして、ある意味まったくその通りの話で。


つくづく想うのは、
ヒトがヒトに向けてカメラを回し始めた瞬間から、
それはドキュメンタリーでは無くなっている
」という大きな事実なんですね。
ヒトはカメラを向けられて平気で居られるか? 居られるわけが無い。
役者はカメラがあるから、観客が居るから、演技ができる。
カメラが回っているとき、もう被写体は何かをアピールしなければならない。
(“無言”というアピールの方法もあります)。
一方、撮るほうは“無言”だってしっかり撮る、ひたすら撮る。
そして、被写体が話すことができるようになったら、それを引き出すようにその場を“演出”する。


そうすると、どうでしょう、いつのまにか被写体は(誤解を恐れず言えば)自分を演じ始めるのですよ。


じつはボクは“ヤラセ”って言葉が大嫌いで、なんというか、簡単に言われてもらっては困る、というのは正直、あります。
いかに引き出すかは撮る側のれっきとしたテクニック、スキルで。
「ヤラセだからできる・撮れる」なんて簡単にいくものではないことは確かです。
(むろん世に言うヤラセと呼ばれているものを肯定するつもりは毛頭ありません。

ドキュメンタリーはヒト対ヒトの緊張関係でもあるし、
なによりもその信頼関係から生まれるものでもあります。
それを粘り強く撮っていく。距離感も含めて。
研ぎ澄まされた集中力、現場での瞬発力を頼りに(作家は)撮り続けるわけです。
そうやってドキュメンタリーの磁場が生まれる。
それはいわば監督と役者が作り出す磁場と同じと言って良いと想います。
(ボクはムーアがいわゆる劇映画を作っても面白いものを作ってくれると想っています。
 彼はれっきとした演出力をもった作家です)


ムーアのずうずうしさ(行動力)と、現場での頭の回転には驚くばかり。
彼の中には明確な視点があるんですよね。
自分なりの視点がはっきりとしている。それに迷いが無い。
だからあれだけ機関銃のように相手を攻めながら、相手の言葉を冷静に引き出すことができる。
(ボウリング〜がそうでした。


ボクはマイケルムーアを必要以上に擁護するつもりはないです。
ただ、彼の華氏911
「あんなの映画としては何の新しさも面白さもない」みたいなことをどこかの評論家然として、
冷静に切られてしまうと、それにはちょっとモノ申したくなるわけです。


とあるblogのコメントで、華氏911のことで、
「映像を切ったり張ったり、音声絞ったりすれば相当恣意的な映像が出来るという“実験”以上の内容は無い」という文章を見たのですが……
そんなもの「実験」でもなんでもないです。
皆さんが毎日見てるニュースのVTRでいつも出てくることです。
ニュースステーション登場以来、アナ読み原稿以外のニュースVが登場しましたね。
1分から長いもので5分くらいの。
恣意的かどうかは別ですが、
あれらのニュースVは「ある結論に達するように」つくってあります。
そうVTRを作らないと視聴者が混乱するんです。
だから、見たあと、「なるほど」と“どんな人が見ても分かるように”つくる。
というか、「分かったように思わせるようにつくる」んです。
おしつけがましくなく、さりげなくね。


それが映像というしくみの根っこなんです。


どうやら生理的にマイケルムーアを好きになれない人は多く居るようです。
それは分かる気がします(苦笑。
でも0か100かで勝負するってのは本当に勇気が居る事で、
そして、多くの“中庸”を良しとする日本人には、一番遠いメンタリティとも想うのです。


うーん、上手くまとめられなかったかもしれません。
ちょっとボクが常日頃想ってるドキュメンタリー感というか、
そういうの書き出してみたつもりなんですが……



記:タイで想う日々管理人